涙を流すことで
重い心が少し軽くなることがあります。。。
そして、思いを文章に綴ることで、
痛みが少しだけ 癒されることもあります。。。
今、自分自身を、
落ち着かせるように 書き始めています。
きのう、わたしのおばあちゃんが息を引き取りました。
成人するまで、わたしの実家で一緒に暮らしたおばあちゃん。
ここ数年は、痴呆が進んで、施設や病院での生活で、
(一時は鬼のような、怖いきつい状態があったものの、乗り越え)
仏様のような穏やかな顔になって、穏やかに暮らしていたそうです。
元気だったものの、肺炎になったのが原因で、、急逝しました。
厳格な家庭でした。
議員や地域のいろんな活動をしていた祖父を支えてきた、祖母。厳しいひとでした。
でも、わたしにとっては かけがえのない 「おばあちゃん」 でもありました。
四人きょうだい。八人家族。
小さな子供の世話で忙しい母、長女のわたしは おじいちゃん おばあちゃんとよく話をしました。
厳しかったけど。。。
やっぱり、いてくれるだけで安心感をもらった気がします。
普段の料理は母が作っていましたが
ハレの日の料理や、樽で漬ける漬物、杵と、うすでつく おもち。。。
そんな時はおばあちゃんの出番でした。
畑をし、縁側には大根を並べたり干し柿を吊るしたり
幼いころのそんなワンシーンが今でも記憶の中に鮮明に残っています。
縁側に座って、お裁縫して
しゃれたものは作れなくても、寒い季節になると「ぬっくいぞ、着ろや。」といって はんてんや かいまきを手縫いしてくれました。
祖父母と一緒に、春になると山へ行って山菜取りしたのもよく覚えています。
小さいころは厳しさしか分からなかったのですが、実は お茶目なところも、すごくあって、
昔(ほんとうに昭和な話ですけれど)流行した【笑い袋】や【ブーブークッション】で一緒に大笑いしたり。
紫色が大好きで、紫のグラデーションのように洋服や帽子を重ねて着ていましたね。。。
わたしが結婚の報告で親戚回りをしたとき、
おばあちゃんも一緒にきて 嬉しそうに話をしてくれたり、
お昼のカツどん、大盛りいっぱいをペロッと食べてびっくりさせたり。
元気なおばあちゃんでした。
大正生まれ
小さいころ 布団を並べて寝た時に
戦争の話や、、、いろんな大変だったこと。。。そして時には昔話を話してくれました。
食べるもの着るもの 生き延びることが大変だった時代のひとです。
名前は「カメヨ」 亀は万年生きるから。生きて、生き抜いておくれ。
そんなご両親の思いが詰まった名前の、おばあちゃんでした。
わたしが20歳の時 連れ合いである祖父を亡くし、
その三年後に 息子(わたしの父)が50代初頭で亡くなり。。。
その心労や、いかばかりだったかと思います。
気丈だったおばあちゃん。
だんだんと出かけず一人になる時間が増え
いつしか痴呆が始まり。。。
つらいつらい時間が 当時一人でみていた母にのしかかりました。
いろんな事件や病院を経て。。。よい施設さんに巡り合い
穏やかな日を過ごせるようになって。。。
面会にいくと もうわたしのことも 誰のことも忘れてしまって
でもニコニコして 挨拶なんかして
最初は、わたしも泣きそうでしたが
ああ こうやって たくさんの苦労をしてきて乗り越えてきて
じゅうにぶんに頑張ったひとが 今こうやって仏様に近づいている。
いろんなこと忘れて 軽くなって いつか来る旅立ちの準備ができるってことは
けっして不幸じゃあ、ないんじゃないかな。
そう思いました。
おわかれ。。
本当に寂しくて悲しいけど
でも肉体とサヨナラしても
おばあちゃんにもらった 体験、あったかい思い出、スピリット
いろんなこと みんな 宝物として 永遠にのこるから。
いろんなことがあったけど
思い出すのは、やっぱり笑顔です。
ほんとうに、
厳しい時代を生き抜いてくれてありがとう。
命のバトンを つないでくれてありがとう。
感謝の気持ちでいっぱいです。
どうかこれからは
天国で20年ぶりに おじいちゃんと、おとうさん(息子)と
積もる話をしてくださいな。
いずれはわたしもそちらに いきますが
まだ、こちらでの使命がありますので
もうしばらく 働かせてください。
ほんとうに ほんとうにありがとう。
安らかに、眠ってください。。。
カメヨばあの、孫より。愛を籠めて。
Rinrin-french
ばあちゃんの手。(2009年撮影)
。♡*゚¨゚゚・*:..。♡*゚¨゚゚・*:..。♡*゚¨゚・*:..。♡*゚¨゚゚・*:..。♡*゚¨゚
にほんブログ村
人気ブログランキングへ